何か新しい小説を読むにあたり先入観や偏見というものを持つのは、仕方のないことではないかと思う。
多少なりとも本を読んだことのある人間は、これから読むであろうそれに対して無知であるわけにはいかないし、自分が読んだ本を否定するわけにもいかないだろう。 そもそもにして、絵やストーリー紹介や出版社や著者といった”本文以前”の情報が本文を読む前に飛び込んでくるわけである以上、何も考えずにその文章を読んだりすることなぞ出来ない。 だから俺は、次に自分が読む本に対して読む前にあれこれ先入観や偏見を持つ。そのことは特に不思議でもなんでもないと思う。 ---------------------------------------------- 読んでみて「面白かった」と、あるいは「つまらなかった」と心から感ずることが出来れば、それがその本のあなたにとっての価値である。 なんて言葉を以前書いたが、今もその考えは変わっていない。 同時に、ただ面白ければそれでいい……という姿勢に首を傾げているのがもう一人の俺であって、わりに昔から自分の中で両者は対立してきた。 --------------------------------------------- 前置きが長くなったが、「イリヤの空 UFOの夏」である。 F氏お勧めのこの本、俺にとっては実に1年ぶりのライトノベルの読書となった。 その界隈では爆発的人気を誇り、アニメはもちろん来年には映画の放映も決まったこの作品。 結論としては……面白かった、のだと思う。 食い入るように文章に見入り、3時間で4冊を読み終えたわけだから、夢中になっていなかったと言ったら嘘になる。 ただ、とても残念な作品…という感慨。 以下、ネタばれ。 辛らつというか、罵詈雑言を並べているので不快感を覚えたくない人は見ないことをお勧め。 全体的な感想としては、正直白けた。そのストーリー構成とテーマに、である。 漫画『最終兵器彼女』の、完全な焼き直し作品だったからだ。それも劣化版として。 サイカノを読んだことがある人ならば、説明不要なほど多くの類似点が見えてくるだろう。 徐々に崩壊していく日常、一般人から見た戦争=よくわからない、主人公から見た戦争=非現実的、戦争が起きても平然としている強靭な日常、得体の知れない戦争、最後まで読者とキャラクターに明かされることの無い数々の謎、最終兵器な女の子、体をぼろぼろにしていく女の子、その子との逃避行、暴走、”二人だけの世界”Etc…キリがない。 サイカノは、二人の「彼氏」「彼女」としての関係が全てであり、作品のテーマであり、それ以外のあらゆる要素はその関係を語るための道具に過ぎなかった。軍隊や敵などに関しても徹底して抽象的な記号(敵の正体も戦争の同期も戦況も読者は分からない)として作中に登場し、しかしそれらは二人にとって現実的な恐怖となって襲い掛かるのである。 その中で、チセはただ「最終兵器」という扱いをもって軍の中で描画されていた。チセとシュウジの苦悩は、ただただ二人の住む世界のすれ違いであった。チセの悲しみも、喜びも、軍とは違う場所で育まれたものだ。 さてイリヤはどうか、というと。 作中、少なくとも序盤の方では「軍隊」の扱いは、サイカノの「軍隊」のそれとほぼ等しかった。 つまり読者から見ると、何かを企んでいるような気もするが、何をやっているのかよく分からない。キャラクター達から見ると、オカルト的な要素を軍隊の中に見出し、思春期特有の好奇心を見せる。 イリヤは軍の内部で育ち、悲しみを知り、過去をつくった。 その悲しみ中で見出した曙光が浅羽だった。軍とは違う人物。 問題は、イリヤの救われなくてはいけない問題が、全て軍の中で起こっているということだ。浅羽とは違う世界。 そこで中途半端に心を閉ざす原因を語られても、もともと軍隊の内部のイリヤたちの役割(エイリアン撃退)は極めてオカルト性の高いもので、浅羽の世界との接点がほとんどない。 友人の死、戦う理由が見出せない、などのもっともらしい理由を述べられても、なぜマンタパイロットを補充しなかったのか、なぜ子供なのか(理由があろうがなかろうが、そこで子供を登場させたということ)、そもそもにして敵の正体が全く不明、脅威も不明といったリアリティの無さではイリヤの本当の苦悩を知ることが出来ない。共感できない。本人の台詞のメッセージ性は高いものの、あまりにも突拍子すぎ、自閉症特有の弁舌であり、今日の中学生が聞くとしたら衝撃を覚えるという以前に、「引く」。 日常の中で徐々に崩れていくイリヤ- というのを表現したかったのだとしたら、あまりにも描写が足りない。髪が白くなり、目が見えなくなり始める。このたった二点でのみ、学校生活は終わりを告げた。 思えば最終兵器彼女は、そのチセの体が崩壊してゆく様を、本当に長く長く丁寧に描いており、それが作品の色に悲しみを、絶望咸を与えていた。 逃避行も、「僕らはこの夏、あの短い時間をがむしゃらに生き抜いたんだ」とキャラクターに言わしめるにしては違和感が強く残るものであった。 吉野の存在があまりにも不気味。あの豹変の理由がわからない。窮地に落ちた人間の豹変っぷり伝えたいというならば、それは作品に漂うライトノベル空気とは異質すぎる。 イリヤは浅羽によって救われた、というのがあくまでも「救われた」という文字で伝えられるだけであって、読んでいて自然と実感できるような場面がそれほどない。 総じて、浅羽の行動がどれもかれも”中学生”……というより"激情人間”であるため、話がどんどん”乱暴”になっていく。お約束どおりの展開はくそ食らえ、と作者が考えているならばそれはそれですごいが。 最大に致命的なのは、1~3巻で築き上げたイリヤや晶穂、浅羽、水前寺やその友達との恋愛やら友情の関係や日常の描画から読者に伝えた”もの”が、ほとんど4巻の逃避行と関係ないことである。 あの1~3を未練なくばっさりと切り捨てて逃避行を描く、のはいったいなぜか。「日常」は常に園原市にあり、「非日常」つまり夏休みの間の逃避行は、それこそ夏休みだけの、ボクらだけの冒険だからだ・・・ということなのだろうか。それにしては、前述の通り逃避行に違和感が強い。 連載物にありがちな全体の(雰囲気的)整合性が危うくなった・・・ということなのだろうか。 結末も肩透かしもいいこと。”いずれ日常が戻ってくること(夏休みの終わり)を約束された世界”の中で強引に結末をつけるとしたら、ああなるのだろうか。 おおよそ俺が予測した結末の中でもかなりつまらないものであり、これは大いに失望した。 ストーリーが「最終兵器彼女」である以上、サイカノのエンディングの別の解釈させることを期待していたのだが… やはり俺の中では劣化「最終兵器彼女」と言わざるを得ない。 -------------------------------------------- とまあ、気に食わない点ばかり述べていても先が無いので、今度は気に入った点をあげたい。 こちらも割りと多い。 この作者、文章力、文章の面白さにかけてはけっこうなレベルである思う。 一つ一つの文章自体は目を惹きつけるものがあり、ライトノベルにありがちなリアリティの無さはあまりなく、表現が過剰になることもない。最後まで飽きずに読ませてもらった理由の一つがこれであろう。 シーン単位の物語も面白く、特に「無銭飲食列伝」シーンと浅羽が耳の後ろから発信機をナイフで取り出すシーンは見事。ナイフシーンは、まるで自分自身の発信機を取り出しているようなリアリティがあり、文字通り怖さで手に汗を握った。恐怖を読者に伝えることは悲哀や喜を伝えることよりも難しいと思う俺にとっては、このシーンだけでも作者の技量に賞賛を覚える。 晶穂がイリヤのことを「自分から仲良くする努力をしないで、誰かに助けられるのを待っている」幸薄で自閉症気味の美少女と評していたが、しばしライトノベルなどのステレオタイプと思われるイリヤをメタ批評?しているのは面白い。それに対する作者の回答は……まぁ、その通りだろうが、もう少し新しいやり方とかあっても面白かったかも。 繰り返すが、作者の技量を確かに感じることが出来る文章ではあるが、同時に”パワー”を抑えている感があった。確かに作品の対象年齢がローからハイティーン向けな点である以上、文章は分かりやすく、理解を容易にし、表現を抑制し、読者を強く意識するなどの「売るための」文章を書かなくてはならないのであろうが、それが作品を、いや、作者を窮屈にさせている節が感じられた。実際は分からないが、少なくともこのシリーズからは。 例えばだが、わりとあちこちに散りばめられている(この文庫としては)過激な描写なども、「書きたいから書いた」というよりは「普段生ぬるい文章を読んでいる中高生に一時の衝撃を与える」のが目的のように思える書かれ方をしている。「死体を洗う」などはその典型的なショートストーリーであり、軍の得体の知れなさ、オカルトと日常の境界線の危うさ、自分が信じている世界の希薄さ、を語るのがメインであるとは思うが、それだけでは終わらない作者の「意図」が読み取れた。 俺がしばしライトノベルを嫌う理由としては、この「意図」が露骨に伝わってくるのがいやだから…なのかもしれない。はい、ここ残酷シーン。はい、ここ悲しむシーン。はい、ここ萌えるシーン。意図が文章の中に溶け込んでいて、読者はそれを意識する事がない……それが素晴らしく「上手な文章」であると思う俺にとっては、(中高生に理解させるために)「意図せざるを得ない」ライトノベルという土俵は、肌に合わない。 この人が、そういった文章を書く上での「制約」を取り払った物語を読んでみたいな、と素直に思った。 -------------------------------- 久々に読んだライトノベルではあったが、いい意味で刺激を受けたと思う。受けなかったら、上のようにグダグダと書く気にはならん。 しかし書いていて思うのだが、やはり俺は「批判に酔っている」のかもしれん。一度その作品を「嫌い」と思ったら、それこそ重箱の隅をつつくような書き方をして徹底的に嫌う。それが良いか悪いかと言われれば、客観性を保ち、他人に見せるための批判文章としては明らか失格ではあるが、しかしこういった書き方が大好きな俺にとっては「チラシの裏なんだから何書いてもいいじゃーん」とも思い、かと言って少人数であろうが他人の目に触れるような文章は決して無責任であってはならないと思う………と、ループするのでやっぱり意識しないようにする。 ------------------------------- マリサのえろいひとに補足というか反論してもらったが、なるほど、そういう考え方もあるのか、これは参考になる、つまりそういった解釈だと思えばそういう部分もおかしくはない……と表面は冷静に受け取っていても、その実、心の中では自分の読みの浅さに腹が立ち、後悔をしている俺ガイル。 そんなわけで、少しづつ少しづつ文章を変えていって、元の主張とはまるで違う意見を最初から書いてあったかのように錯覚させるようにしたいと思う。うしし。 はぢめてトラックバック。このタイミング(トラックバックされてから)でやるのはどうかと思うが、トラックバック。 (こうしんちゅ)
by tie_gm
| 2005-10-19 06:13
| 日々
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